2007年7月29日日曜日

シャンソンの夕べ

もう2時間もすると、どこのテレビもラジオも参議院選挙の当選特別番組、いわゆる特番の世界の突入する

それを前にテレビのスイッチを入れた。NHKのBS2で「シャンソン」の番組をやっていた。
司会は永六輔氏。どうやら今月14日、フランスでは革命記念日、日本では「パリ祭」として知られる、その日の行事を収録して放送しているようだ。その日に、シャンソン業界としては、恐らく年中行事としては最大のものとして定着しているのだろう「パリ祭」。すでに今回が45回目というから、定着した行事だろう。

仕掛け人は、日本のシャンソン業界の大姐御、石井好子さんのようだ。この人が立ち上げ、この年中行事が続いてきた。司会の永さん、今年は画面を見ても、急に老け込んで、どこか悪いところがあるのでは、と妙に心配してしまうのだが、始まって何回か以降、ずっと司会を勤めてきたようだ。

それはラジオのTBSの番組「どこか遠くへ」という長寿番組で、そんな話をしていたのをたまたま聞いた。

私は永六輔という人が好きだ。学生時代、つまり30年余り前、夜の10時半ころに当時の「ラジオ関東」の番組を、永さんがもっていた。3人のメンバーが、勝手なことを言い合いつつ、時代を批評し、自分の考え、感じ方を話していた。「きょうの話はきのうの続き、きょうの話は。また明日」という台詞が、番組の初めから終わりか、そして両方かで流れるところが、いかにも永さんらしい趣向のように思えた。一緒に出ていたのが、前田武彦、大橋巨泉というワセダの人びとだった。番組構成者の集団みたいなものだったのだろう。

永六輔が作曲の中村八大とのコンビで、レコード大賞の第1回目をさらったのが水原弘の「黒い花びら」。そして坂本九ちゃんとの6・8・9のトリオの作品が世の中に出て行く、そんな時代だった。

以来、「男のおばさん」であったり「鯨尺」のおじさんであった永六輔の主張に、私は共鳴し、同調してきた。それは今の「どこか遠くへ」のラジオ番組でもそうだ。土曜日の午前中にもラジオ番組をもっている。ただ、今年の春以降、ラジオで聞いていても、ちょっと健康を心配していた。

永さんの話がメインではないのだけれど、シャンソン業界の「パリ祭」が45回も続いている、というのは、恐らく「たいしたこと」なのだろうな、と思う。それを仕掛け、続けてきた石井さんというのもたいしたものといえよう。親父さんは元朝日新聞の常務を勤め、戦後は政界の転じた石井光次郎氏。

この祭りには、昔懐かしい、芦野博、深緑夏代 、菅原陽一、そして加藤登紀子、ヘーと思ったのが前田美波里……。そんなメンバー。シャンソンが、日本のどこかで、ライブハウスを構えながら、華々しくはなくとも、歌手たちの自身の経験を肥やしにしながら、その味を育ててきたのだな、と思う。

確かに、一人の歌手が、若いだけでは華やかであっても、シャンソンの世界、経験を表現することはなかなか難しい。というより、ベテランたちの画面には耐え難いかもしれないが、その歌声の確かさ、訴えの響きが、若さとはまた別のものであることを改めて知った思いでした。

0 件のコメント: