2007年8月9日木曜日

戸隠好天

戸隠のバードラインを走って、奥社まで行ってきました。

長野県上水内郡信濃町、という所に、現在、滞在しています。
野尻湖と一茶旧跡の町です。
そこからバードラインというのだそうですが、まずまずの舗装された山道をドライブ。
取れたての玉蜀黍を焼く良い匂いを嗅ぎながら、ひたすら進みます。

ざっと40分。登りの道が信濃町から「これより長野市」の標識(正確には「これより」はない)を過ぎると戸隠の牧場があったり、忍者屋敷がある。これも時間のある時には、お楽しみなのだが、本日は娘と連れ合いの母親(84歳)連れなので、まずは戸隠のスキー場近くのヒュッテ兼カフェ「パイプのけむり」へと目指す。

ちょっと入りこんだ場所ともいえるが、スキー場の第3駐車場を少し降りたところなのだそうだ。連れ合いらが、もう何年前からになるのか、10年は下らないのかもしれない位の以前から、毎年の夏、1-2度は訪れているお店。ドロップアウトしたマスターのカレーやシチュー、ケーキなどを、それらしい山荘風の店内で食べ、マスターやその連れ合いさんと会話――あの人、この人、以前かかわりのある人たちの消息などが、またご馳走になる、そんなお店。少し遅めのランチだが、コースで食べたら、これは満足、満足……。

帰り道、戸隠の奥社へ参った。
御婆ちゃんも、数年前までは健脚を誇り、歩いてみよう・食べてみよう、の御婆さんだったが、昨年夏前に首筋の神経が狭窄してきたため、手術をし、予後は悪くないのだが、すっかり気弱になるとともに、歩けなくなったことを本人が一番自覚し、落ち込んでいる。それでも孫娘が精一杯の世話をしているだけに、孫娘と婿さんに気兼ねして、「奥社まで、腹ごなしに歩いていらっしゃい」とノタモウた。

これまでにも何度か、奥社へお参りしたように思ったが、久しぶりに娘と二人でお参りするのも悪くないか、と歩き始めた。持っていた超長めのレンズをつけたカメラでおばあちゃんが段々見えなくなって、その先が、すばらしい杉並木ながら、何と長かったことよ。

薀蓄ひとつ、二つ――
「戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。 
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。   (戸隠神社HP)

神仏混淆のころは「戸隠山顕光寺」と称して、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えたのだそうです。 

江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、東比叡寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、広く信仰を集めました。明治になって戸隠は廃仏毀釈の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。(同HP)

昔から都に名が知れていた、ということは能 「紅葉狩」などに残る、鬼女伝説にもそれが示されているのだそうな。これはウキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E4%BC%9D%E8%AA%AC――
才色兼備の呉葉という主人公が、いつの間にか「紅葉」という名になるらしいのだが、お試しください。

奥社までは、ざっと往復4キロ=1時間の行程。娘と日ごろは話さないような話をしながら歩きました。
めでたしメデタシ。

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