2007年12月2日日曜日

墓参り

父の墓参りに出かけた。
師走も2日。天気は良し。好天のうちに、墓参りはすますべし。

数えてみると、4日で父が亡くなって満12年。ということは、13回忌ということになる。
仏教界での数えの話だ。だからといって、墓参りと法要とは関係ない。
考えてみれば、葬式も無宗教で執り行った。

先祖を遡ってみれば、私からいって祖父の代、というか、
その父親の代まで、どうやら仏教のお寺さん、つまり坊さんだったようだ。
いまでも、そのお寺は福岡の在にある。
真宗大谷派金吟山信教寺、というのが確かそのお寺。

祖父は、大学を二つ出て、新聞記者になった。
お寺は、妹に婿をとって、後を継いでもらった。
そして、その息子、つまり私の父は、あえて仏式の葬式を求めず、無宗教を望んだ。
そういえば祖父の葬式は、仏教で行われたようだが、
長男夫婦をはじめ、クリスチャンで、お骨はどこへ納められたのか。

葬儀の変遷というのは、大袈裟に振りかぶれば、社会のありかたの変遷だ。

「家」がしっかりしていた時代、葬儀は「家」の格式に則り、その枠で執り行われた。
社会に「会社」が根を下ろし、人びとが「家」から「会社」の呪縛に囚われはじめ、
「会社」の存在が大きくなるにしたがって、葬儀に「会社」が大きく関与をし始めた。

「社葬」が、それだ。

「社葬」は、やはり「会社」という社会のなかでその序列を再確認したり、
再構成をするうえでの大きなモメントともなった。

「親戚代表」「葬儀委員長」……。
葬儀を執り行うに当たっての「要」であり、中心である人、その役割には大きな存在感があった。
そういう時代が長く続いた。

ある時から、葬儀が逆のベクトルを辿り始めた。
「葬儀は近親においてあい済ませ」るケースが、増え始めた。

死亡広告のパターンというのは、やはり時代の変遷とともに変わってきている。

「無用な会葬は不要じゃ」

心になくとも、葬儀に参列する、ということが、
本当に不要であったり、無駄なことであるのか否か、議論はあろう。

「千の風になって」私の骨は砕いて、太平洋に撒いて欲しい……
葬儀を含め、自身の死後をいかにしてほしいのかそれは、
だんだんと死に行く人の、自身の処分を含めた希望であり、権利になりつつあるようだ。

理屈は別にして、今日は静かに晴れ、野の枯れ具合も美しく、
自然はかくも華やかな初冬を演出するのだ、と思わせた。

もう後、何年、墓守をして、墓参りができるのか。
そんなことも思い始めた、今日この頃ではある。

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