いつの間にか、日本の女の子たちは「小顔」になっているようだ。
小さな顔、長い手足……。一昔前に比べても、その形は大きく変わっているように思える。
「小顔」などといっても、はっきりした定義がある言葉でもなさそうだ。
小さな顔は、何に比べて「小さい」のか。どれくらいの比率以下が「小顔」なのか……。
それでもネット上には「小顔になれる基礎知識」であるとか「小顔美人になるこんな方法」などというサイトがずらりと並んでいる。
「小顔」という言葉は、「アムラー」を生んだ安室 奈美恵が登場した12年位前以降の 流行のように思える。それ以前にも 「小顔」の人がいたに違いないが アムロのファッション・リーダーとしての茶髪ロングヘアー・ミニスカート・細眉・厚底ブーツなどの総体として、この時代以降に「憧れ」の対象としての言葉が定着したようだ。
因みにアムロは身長158cm、40kg。スクリーンからの印象より、小柄だといえそう。
かつて「八頭身美人」という言葉があった。
1953年(昭和28年)に伊東絹子がミス・ユニバースの3位になった時、彼女を称していった言葉で、流行語になった。当時の彼女のサイズは T-164cm, B-86W-65, H-92とのことで、当時の日本人としては大柄な、西洋的な体形の美女だったらしい。
ミス・ユニバースでは、その後、1959年(昭和34年)に児島明子が優勝している。身長168cm、体重55kg、スリーサイズは93、58、97cm。今年07年の優勝者、森理世さんは身長170cmだけしか不明。
そんな中で、「ツイギー」というイギリスのモデルが日本へやって来たときを思い出す。
名前の通り、全身が「小枝」のような印象で、小顔、手足は細く、長かった。
1967年(昭和42年)のことで、彼女が身に着けて上陸したミニスカートは全世界を席巻する。
日本では彼女がやってきた10月18日を「ミニスカートの日」としている。
40年前のことだった。
2007年9月20日木曜日
やっと初孫
待望の「初孫」が、やっと生まれた。
娘は「生まれた」でなく「産んだ」と主張するが……。
予想通り、男の子だった。
予定日から遅れること12日。
「もう生まれるかも」と訴え初めてから約一ヵ月かかった勘定だ。
その「甲斐」?あってか、体重は3,516g。いや、立派な体重だ。
恵比寿、中目黒と代官山のトライアングルのほぼ中心にある産院は、自然分娩を旨としている。それでも、そろそろ促進剤を、と予定していた19日早朝、娘に産気が訪れた。「産出」は昼過ぎのことだった。
誕生の知らせを聞いて、産院に行って見ると、畳敷きの和室の布団の上に、赤ん坊は寝ていた。
お包みの中から、赤ら顔が見えた。
赤ん坊は本当に赤い。なのになぜ、嬰児<みどりご>というのだろう。
などと愚にもつかぬことを考えながら、赤ちゃんの顔を見ていると、
どうも私と私の母親に、どこか似ている。目の下に袋ができそうな顔だ。
ちょっと、お地蔵さんにも似ている。
余り、大泣きもしない、大人しい子のようだ。
賢い、賢い、というのは、すでに爺馬鹿というやつだろうか。
娘の出産に付き添っていた婿さんは、早速、
8ミリならぬデジタル・ムービーを回していた。
なんと、出産直後のシーンから、映し出されていた。
世の中、どんどん出産の風景も変わっているものだ。
ともかく、母子とも無事での出産。なによりの幸せというべきだろう。
娘は「生まれた」でなく「産んだ」と主張するが……。
予想通り、男の子だった。
予定日から遅れること12日。
「もう生まれるかも」と訴え初めてから約一ヵ月かかった勘定だ。
その「甲斐」?あってか、体重は3,516g。いや、立派な体重だ。
恵比寿、中目黒と代官山のトライアングルのほぼ中心にある産院は、自然分娩を旨としている。それでも、そろそろ促進剤を、と予定していた19日早朝、娘に産気が訪れた。「産出」は昼過ぎのことだった。
誕生の知らせを聞いて、産院に行って見ると、畳敷きの和室の布団の上に、赤ん坊は寝ていた。
お包みの中から、赤ら顔が見えた。
赤ん坊は本当に赤い。なのになぜ、嬰児<みどりご>というのだろう。
などと愚にもつかぬことを考えながら、赤ちゃんの顔を見ていると、
どうも私と私の母親に、どこか似ている。目の下に袋ができそうな顔だ。
ちょっと、お地蔵さんにも似ている。
余り、大泣きもしない、大人しい子のようだ。
賢い、賢い、というのは、すでに爺馬鹿というやつだろうか。
娘の出産に付き添っていた婿さんは、早速、
8ミリならぬデジタル・ムービーを回していた。
なんと、出産直後のシーンから、映し出されていた。
世の中、どんどん出産の風景も変わっているものだ。
ともかく、母子とも無事での出産。なによりの幸せというべきだろう。
2007年9月6日木曜日
台風と予定日
台風9号が北上している。
このままでは、首都圏を7日未明にも直撃する勢いだ。
その7日。娘の出産予定日だ。
35歳での第1子で、半月ほど前から
「もう産まれるかも」の大騒ぎが続いている。
結局は、予定日の周辺に産まれることになるのだろうが、
大事をとりすぎて、家でゴロゴロでは、最後は産まれない。
2時間程度は歩きなさい、との先生のご託宣に
家の周辺を歩いたり、しているのだが、
「一人では、何かあったら心配」とは
なかなかに我侭に育てていまったものだ。
というわけで、夫を含め、家族が変わる変わるで
散歩や午後の時間を過ごすのを受け持ち、
私も昨日、お当番に出かけた。
何をして時間を過ごすか。
いずれにせよ子どもの出産は、ほかのことと同じで
待つより仕方がないのだから、
その待つ時間を、どのように過ごすか、だ。
昨日は、近くにある東京都庭園美術館を訪ねることにした。
以前の迎賓館。白金の自然教育園のすぐ隣にある。
ちょうど、ロシアのバレエなどの足跡を展示する
「舞台芸術の世界」展が行われていた。
庭園美術館は、もともとは
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年-1981年)が
1947年の皇籍離脱(実質的な臣籍降下)まで暮らした邸宅で、
1933年(昭和8年)に竣工した、当時流行のアール・デコ様式を採用した建物で、
東京都の有形文化財に指定されているものです。
美術館の建物自体が美術品で、その建物の中にいるだけで、
気分が落ち着く所である。
展覧会の方は、バレエの歴史を知っていると、もっと
理解が深まるのだろうが、それはそれなりに楽しめた。
断続的に激しく降る雨の中、庭園の緑が一層深く
芝生に2つづつ置かれた彫刻のベンチが可愛らしく存在を主張していた。
さて、「予定日」は無事に出産日になるでしょうか。
なんとか無事に産まれてくれれば良いと祈るばかりです。
このままでは、首都圏を7日未明にも直撃する勢いだ。
その7日。娘の出産予定日だ。
35歳での第1子で、半月ほど前から
「もう産まれるかも」の大騒ぎが続いている。
結局は、予定日の周辺に産まれることになるのだろうが、
大事をとりすぎて、家でゴロゴロでは、最後は産まれない。
2時間程度は歩きなさい、との先生のご託宣に
家の周辺を歩いたり、しているのだが、
「一人では、何かあったら心配」とは
なかなかに我侭に育てていまったものだ。
というわけで、夫を含め、家族が変わる変わるで
散歩や午後の時間を過ごすのを受け持ち、
私も昨日、お当番に出かけた。
何をして時間を過ごすか。
いずれにせよ子どもの出産は、ほかのことと同じで
待つより仕方がないのだから、
その待つ時間を、どのように過ごすか、だ。
昨日は、近くにある東京都庭園美術館を訪ねることにした。
以前の迎賓館。白金の自然教育園のすぐ隣にある。
ちょうど、ロシアのバレエなどの足跡を展示する
「舞台芸術の世界」展が行われていた。
庭園美術館は、もともとは
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年-1981年)が
1947年の皇籍離脱(実質的な臣籍降下)まで暮らした邸宅で、
1933年(昭和8年)に竣工した、当時流行のアール・デコ様式を採用した建物で、
東京都の有形文化財に指定されているものです。
美術館の建物自体が美術品で、その建物の中にいるだけで、
気分が落ち着く所である。
展覧会の方は、バレエの歴史を知っていると、もっと
理解が深まるのだろうが、それはそれなりに楽しめた。
断続的に激しく降る雨の中、庭園の緑が一層深く
芝生に2つづつ置かれた彫刻のベンチが可愛らしく存在を主張していた。
さて、「予定日」は無事に出産日になるでしょうか。
なんとか無事に産まれてくれれば良いと祈るばかりです。
2007年8月28日火曜日
「ミシュラン」の命日
きょうは、うちの「長男」の1周忌、命日だ。
「長男」の名は、「ミシュラン」。オス9歳のチワワだった。
去年のこの日も、暑い一日だった。
前の晩から、「ミシュラン」は吐く息が苦しそうだった。
横になることができないらしく、時々苦しげに咳をしていた。
風邪というのではなく、心臓に疾患があったのか、肺に水が溜まり、
呼吸が苦しげなことが、段々に増えてきていて、早めに病院に連れていこう、
と言っていたところだった。
朝になった、妻が動物病院に連れて行った。
「余り、調子が良くはないみたいだけど、夕方には連れて帰れそうだ、と
お医者さんはいっている」との話だった。
夕方、少し早めに帰宅する途中、妻から連絡が入った。
「どうも様子がおかしいみたい。急いで来て欲しい」と病院からだった。
十数分後、動物病院に着くと、妻は受付のソファで、
毛布に来るんで横たえたミシュランを抱えていた。間に合わなかった。
「ミシュラン」は、下の娘が中学三年で、学校へ行けず、自室に籠もり始めた頃、
通学路にあったペットショップから、「たっての望み」で買入れた。
これまでは平屋に住んだときにウサギなどを飼ったりしたが、
現在はマンション住まいでもあり、ペットも亀どまりだった。
果たして、マンションで飼うことができるか、ちゃんと飼育ができるか――。
そんな諸問題も、少しづつ解決していった。
ちょうどチワワのウルウルとした眼が、サラ金のTVコマーシャルで一躍、
ブームを呼び始めた頃。娘の躾よろしく、生来のおっとりとした性格のミシュランは
家中の欠かせない一員となっていた。
ミシュランの死は、飼育の中心になってきた娘と妻にとって、
形容し難い苦しみであり、悲しみであった。
亡き骸は、その週末、一家で野尻の山荘の地中に埋葬した。
カラマツやカエデなどの葉が積み重なった腐葉土の中、
ミシュランが好きだったウシの縫い包みなどと一緒に……
それから数ヶ月、妻もミシュランと散歩に出かけたコースを歩くことができず、
散歩で出会った犬友達と顔も会わせたくない、と閉じこもり勝ちであった。
「次のイヌを飼ったら」というアドバイスもあったが、
「ミシュランが死んだからといって、すぐにゲーム機を買い換えるみたいにはできない」
と寧ろかたくなな心は開かなかった。
今年の初めになって、妻と娘が、やっとペットショップを覗きに出かけるようになった。
やはり、いままで家の中にいた友達が急になくなった、との喪失感を癒すのには
代わりにはならないまでも、ペットに如くはない――。
上の娘が急遽、結婚をすることになり、一段落した5月の連休。
家に帰ると、小さな白い物体がゲージの中にいた。
2代目のチワワ。今回はメスだった。11月に生れた5人?兄弟の妹分らしい。
川崎の国道1号線沿いにあるペットショップだが、こじんまりした店で
飼っているおばさんの躾け方も気に入っての決断だった。
前回、ミシュランの時の命名者は、下の娘だった。今回も娘は
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に出てくる
「幸いの竜」フッフールを付けたかったらしい。
しかし、「白い」イヌの白さにこだわった父親や上の娘が
白い酒「マッコリ」などと茶々をいれ、白いのに妥協して「ルー」と名前がついた。
先日、信濃町に出かけた際、山荘のミシュランの墓に詣でた。
思わず、埋葬した地面は、ミシュランの犬形に沈み込み、
自分の存在を主張しているかのようだった。
持って行った花を植えてきた。
ミシュランが4キロくらいはあったのに、ルーは2キロほど。
そのかわり思わぬほどのすばしこさを発揮する。
ミシュランを悼みながら、いまではすっかりルーが仲間だ。
「長男」の名は、「ミシュラン」。オス9歳のチワワだった。
去年のこの日も、暑い一日だった。
前の晩から、「ミシュラン」は吐く息が苦しそうだった。
横になることができないらしく、時々苦しげに咳をしていた。
風邪というのではなく、心臓に疾患があったのか、肺に水が溜まり、
呼吸が苦しげなことが、段々に増えてきていて、早めに病院に連れていこう、
と言っていたところだった。
朝になった、妻が動物病院に連れて行った。
「余り、調子が良くはないみたいだけど、夕方には連れて帰れそうだ、と
お医者さんはいっている」との話だった。
夕方、少し早めに帰宅する途中、妻から連絡が入った。
「どうも様子がおかしいみたい。急いで来て欲しい」と病院からだった。
十数分後、動物病院に着くと、妻は受付のソファで、
毛布に来るんで横たえたミシュランを抱えていた。間に合わなかった。
「ミシュラン」は、下の娘が中学三年で、学校へ行けず、自室に籠もり始めた頃、
通学路にあったペットショップから、「たっての望み」で買入れた。
これまでは平屋に住んだときにウサギなどを飼ったりしたが、
現在はマンション住まいでもあり、ペットも亀どまりだった。
果たして、マンションで飼うことができるか、ちゃんと飼育ができるか――。
そんな諸問題も、少しづつ解決していった。
ちょうどチワワのウルウルとした眼が、サラ金のTVコマーシャルで一躍、
ブームを呼び始めた頃。娘の躾よろしく、生来のおっとりとした性格のミシュランは
家中の欠かせない一員となっていた。
ミシュランの死は、飼育の中心になってきた娘と妻にとって、
形容し難い苦しみであり、悲しみであった。
亡き骸は、その週末、一家で野尻の山荘の地中に埋葬した。
カラマツやカエデなどの葉が積み重なった腐葉土の中、
ミシュランが好きだったウシの縫い包みなどと一緒に……
それから数ヶ月、妻もミシュランと散歩に出かけたコースを歩くことができず、
散歩で出会った犬友達と顔も会わせたくない、と閉じこもり勝ちであった。
「次のイヌを飼ったら」というアドバイスもあったが、
「ミシュランが死んだからといって、すぐにゲーム機を買い換えるみたいにはできない」
と寧ろかたくなな心は開かなかった。
今年の初めになって、妻と娘が、やっとペットショップを覗きに出かけるようになった。
やはり、いままで家の中にいた友達が急になくなった、との喪失感を癒すのには
代わりにはならないまでも、ペットに如くはない――。
上の娘が急遽、結婚をすることになり、一段落した5月の連休。
家に帰ると、小さな白い物体がゲージの中にいた。
2代目のチワワ。今回はメスだった。11月に生れた5人?兄弟の妹分らしい。
川崎の国道1号線沿いにあるペットショップだが、こじんまりした店で
飼っているおばさんの躾け方も気に入っての決断だった。
前回、ミシュランの時の命名者は、下の娘だった。今回も娘は
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に出てくる
「幸いの竜」フッフールを付けたかったらしい。
しかし、「白い」イヌの白さにこだわった父親や上の娘が
白い酒「マッコリ」などと茶々をいれ、白いのに妥協して「ルー」と名前がついた。
先日、信濃町に出かけた際、山荘のミシュランの墓に詣でた。
思わず、埋葬した地面は、ミシュランの犬形に沈み込み、
自分の存在を主張しているかのようだった。
持って行った花を植えてきた。
ミシュランが4キロくらいはあったのに、ルーは2キロほど。
そのかわり思わぬほどのすばしこさを発揮する。
ミシュランを悼みながら、いまではすっかりルーが仲間だ。
2007年8月20日月曜日
やはり胡弓の音
九月、というと、「セプテンバー・ソング」の前に、
風の盆の胡弓の音を思い出す。
私が越中・八尾を訪れたのは、もう何年前のことか。
多分、二十年ほど前にもなろうか。
ちょっと夕方にかけ小雨が通り過ぎて、列をなす鳥追いと浴衣姿の踊り手たちと、
三味と胡弓の弾き手が、見えない糸で操られているように、
整然としかも優雅に舞い、動く。
興ざめだったのは、NHKのライブ中継というやつ。
確かに地元にとっても、観光資源を全国へ宣伝する絶好の媒体に違いないし、
現地へ行けない人に、空気を含めて伝えるのだから、価値がないわけではないが、
そのライトや音声を随えたカメラのクルーは、やはり
現場の厳粛でさえある空気とは違和感の強いものであった。
それでなくとも観光の見物客で身動きのできない表通りを避け、裏道へ。
そこで一番気に入ったのは、ほかでは聞かれない、胡弓の揺らぐような音だった。
また、行って、見て、聞いて、感じたい、と思った。
一日から三日、といわれる「本番」だが、
それ以前の、観光客がいりこむ前や、三日目の夜更けが良い、という話だ。
2007年8月19日日曜日
やっぱり東京は暑い
2007年8月10日金曜日
信濃町での酔生夢死
現在、信濃町に滞在している。
長野県上水内郡信濃町。すぐ北側は県境をはさんで新潟県・妙高。
この町に来初めてから、何年が経つだろう。
一番初め、ここへ来たのは大学2年生の夏。
野尻湖のホテルで、研究所の夏の合宿が、毎年ここで行われていた。
野尻湖は、県内の諏訪湖に次ぐ大きさの湖。近くの斑尾山が出口を塞いでできた、との説がある。
マンモスの骨が出てきたことから、大衆的に発掘が行われたことでも知られる。
黒姫山、妙高山、飯綱山が見え、反対側には斑尾山がある。
戦前から「山の軽井沢」「湖の野尻湖」として、外国人の避暑地として好まれ、湖畔に外国人村、今では「国際村」と呼んでいる一画には、夏を楽しむ外国人の姿がよく見られる。
ブルーベリーや、ルバーブなどという西洋野菜や果実が、早くから栽培され、利用されてきたのは、他に見られないものだろう。
一方で、この地は、小林一茶のふるさととしても知られる。一茶の記念館は、この町の観光の目玉のひとつだ。
冬はスキー客で賑わう黒姫山の中腹には、童話館があり、一面のコスモス畑を越えてくる風に身を任せていると、それだけで幸せになれる。
縁があって、かれこれ4半世紀前から、ここの別荘マンションに通い始め、冬と夏に関西から、また後には東京から通ってきている。
ひと夏の中で、何が幸せといって、大きな木の陰にデッキチェアーを持ち出し、木漏れ日の中で一杯呑みながらの読書、そしてまどろみ。酔生夢死。青空に白い雲が勃然と湧き上がり、林の中を吹き抜けてきた風が、やさしくヒンヤリと頬をなでていく――。休みだから、と走り回るのとは違う、ちょっと贅沢な気分だ。
還暦を過ぎたら、せめてそれくらいの贅沢を許してもらおう。
長野県上水内郡信濃町。すぐ北側は県境をはさんで新潟県・妙高。
この町に来初めてから、何年が経つだろう。
一番初め、ここへ来たのは大学2年生の夏。
野尻湖のホテルで、研究所の夏の合宿が、毎年ここで行われていた。
野尻湖は、県内の諏訪湖に次ぐ大きさの湖。近くの斑尾山が出口を塞いでできた、との説がある。
マンモスの骨が出てきたことから、大衆的に発掘が行われたことでも知られる。
黒姫山、妙高山、飯綱山が見え、反対側には斑尾山がある。
戦前から「山の軽井沢」「湖の野尻湖」として、外国人の避暑地として好まれ、湖畔に外国人村、今では「国際村」と呼んでいる一画には、夏を楽しむ外国人の姿がよく見られる。
ブルーベリーや、ルバーブなどという西洋野菜や果実が、早くから栽培され、利用されてきたのは、他に見られないものだろう。
一方で、この地は、小林一茶のふるさととしても知られる。一茶の記念館は、この町の観光の目玉のひとつだ。
冬はスキー客で賑わう黒姫山の中腹には、童話館があり、一面のコスモス畑を越えてくる風に身を任せていると、それだけで幸せになれる。
縁があって、かれこれ4半世紀前から、ここの別荘マンションに通い始め、冬と夏に関西から、また後には東京から通ってきている。
ひと夏の中で、何が幸せといって、大きな木の陰にデッキチェアーを持ち出し、木漏れ日の中で一杯呑みながらの読書、そしてまどろみ。酔生夢死。青空に白い雲が勃然と湧き上がり、林の中を吹き抜けてきた風が、やさしくヒンヤリと頬をなでていく――。休みだから、と走り回るのとは違う、ちょっと贅沢な気分だ。
還暦を過ぎたら、せめてそれくらいの贅沢を許してもらおう。
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