「絵画」は、日本の美術の中で、「日本画」と「西洋画」に分けられる。美術展から、制作グループまで、この色分けは徹底しているかに見える。
では、それは何によって分けられているのだろうか――。見方によっては単純な疑問に、当の「日本画」の作家が答えてくれた。今月19日午後、六本木の国立新美術館の会館1周年記念の特別講演のトークセッションでのこと。
美術史家の高階秀爾氏の「日本と西洋・近代美術の100年」の講演に続いて、日本画家として紹介された内田あぐり、畠中光享の両氏がゲストとして加わってのセッション。特に、テーマがあるわけでもなく、作家としての両氏の製作者としての歩んできた道や美術、中でも西洋画に関しての受け止め方、のようなことが高階氏の司会で話された。
乱暴に端折っていえば、どうやら「日本画」「西洋画」を分けているものは、詰まる所、絵を描くのに使う「絵の具」、その素材にあるようだ。それと大学・アカデミズムの中にある「日本画学科」「西洋画学科」という二分法。「学科」に入学したところから、顔料を使う日本画と、油を使う西洋画に分かれる、ということらしい。
もちろん、制作は理念だけでなく、すぐれて技術であるわけで、内田氏が「自分が『美』だと思うものを、たとえば日本画の技法としてある垂らし込みの技法に墨を使う、といったことがピッタリする。油を研究する時間がない」というのも確かなのであろう。
伝統というのは、それが辿ってきた歴史であり、そこに込められてきた時間、技法への探求の深み、厚みということなのかもしれない、と思った。
2008年1月7日月曜日
あれから20年
あれから20年がたったのかと思うと、
昨日のことであったようにも、
もう1世紀も前のことであったようにも思える。
午前6時過ぎに、自宅の電話のベルが鳴った。
慌ててラジオのボリュームを大きくすると、
天皇の容態は尋常ではないようだ。
もうすでに、事態はさらに進んでいるのかもしれない。
すぐに出社を求める電話だった。
取るもの、着るものもとりあえず、
タクシーを呼び寄せ、皇居へ向かった。
7時半過ぎから侍医が大講堂で会見を行った。
次から次へ、儀式は進行していった。
しかし、待つ時間の長かったこと。
午後からは、当時の内閣官房長官が会見した。
左手に「平成」と縦書きした色紙を持ち、
「昭和」の次の年号が「平成」と決まったことを示した。
小渕さんの顔が、なぜかはにかみながら笑っていた。
その日からの服喪。
テレビは、延々と昭和天皇の回顧の映像を流し続け、
歌舞音曲が消えたのだった。
あれから20年。
すでに歴史の一齣になってしまったのだろうか……。
昨日のことであったようにも、
もう1世紀も前のことであったようにも思える。
午前6時過ぎに、自宅の電話のベルが鳴った。
慌ててラジオのボリュームを大きくすると、
天皇の容態は尋常ではないようだ。
もうすでに、事態はさらに進んでいるのかもしれない。
すぐに出社を求める電話だった。
取るもの、着るものもとりあえず、
タクシーを呼び寄せ、皇居へ向かった。
7時半過ぎから侍医が大講堂で会見を行った。
次から次へ、儀式は進行していった。
しかし、待つ時間の長かったこと。
午後からは、当時の内閣官房長官が会見した。
左手に「平成」と縦書きした色紙を持ち、
「昭和」の次の年号が「平成」と決まったことを示した。
小渕さんの顔が、なぜかはにかみながら笑っていた。
その日からの服喪。
テレビは、延々と昭和天皇の回顧の映像を流し続け、
歌舞音曲が消えたのだった。
あれから20年。
すでに歴史の一齣になってしまったのだろうか……。
2008年1月4日金曜日
プール
世の中、仕事初めの4日、横浜・鶴見のプールへ出かけた。
目の前に横浜ベイブリッヂが見える埠頭のプールサイドだ。
日ごろ、運動といえばテニスを週に1-2度のペースで、この10年ほど楽しんできた。
昨年の9月、テニス・エルボーというのだろうか、肘を痛め、その後、いろいろな療法をためしているものの、いまだ思うような回復をみていない。だから、半年まではいかないまでも、この間、運動らしい運動から遠ざかっていて、仕事場がかわったことや、パソコンに向かい合う時間がこれまでよりも増えたことなどから、肩や腰の凝りなど体のあちこちがゴリゴリ、がたがたになっている昨今だ。
去年暮れから、このままではいかん、と水泳を思い立った。
なにもオーバーなことを考えているわけではない。別に急に遠泳をするわけでもない。水の中を歩いているだけでも、立派な運動になる、と。
プールは、25mのプールをはじめ、流れるプール、ジャグジーなど、いろいろな楽しみ方ができる。
高齢者用に大浴場も別料金で用意がされている複合施設。
意気込んで出かけたものの、25mのコースをさて、何本泳げたか。平泳ぎ、背泳など、決してスピードを競うものではないが、体の凝りがほぐれた。
やはり、体は動かすに如くはないようだ。
目の前に横浜ベイブリッヂが見える埠頭のプールサイドだ。
日ごろ、運動といえばテニスを週に1-2度のペースで、この10年ほど楽しんできた。
昨年の9月、テニス・エルボーというのだろうか、肘を痛め、その後、いろいろな療法をためしているものの、いまだ思うような回復をみていない。だから、半年まではいかないまでも、この間、運動らしい運動から遠ざかっていて、仕事場がかわったことや、パソコンに向かい合う時間がこれまでよりも増えたことなどから、肩や腰の凝りなど体のあちこちがゴリゴリ、がたがたになっている昨今だ。
去年暮れから、このままではいかん、と水泳を思い立った。
なにもオーバーなことを考えているわけではない。別に急に遠泳をするわけでもない。水の中を歩いているだけでも、立派な運動になる、と。
プールは、25mのプールをはじめ、流れるプール、ジャグジーなど、いろいろな楽しみ方ができる。
高齢者用に大浴場も別料金で用意がされている複合施設。
意気込んで出かけたものの、25mのコースをさて、何本泳げたか。平泳ぎ、背泳など、決してスピードを競うものではないが、体の凝りがほぐれた。
やはり、体は動かすに如くはないようだ。
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