2008年1月31日木曜日

日本画と西洋画

「絵画」は、日本の美術の中で、「日本画」と「西洋画」に分けられる。美術展から、制作グループまで、この色分けは徹底しているかに見える。

では、それは何によって分けられているのだろうか――。見方によっては単純な疑問に、当の「日本画」の作家が答えてくれた。今月19日午後、六本木の国立新美術館の会館1周年記念の特別講演のトークセッションでのこと。

美術史家の高階秀爾氏の「日本と西洋・近代美術の100年」の講演に続いて、日本画家として紹介された内田あぐり、畠中光享の両氏がゲストとして加わってのセッション。特に、テーマがあるわけでもなく、作家としての両氏の製作者としての歩んできた道や美術、中でも西洋画に関しての受け止め方、のようなことが高階氏の司会で話された。

乱暴に端折っていえば、どうやら「日本画」「西洋画」を分けているものは、詰まる所、絵を描くのに使う「絵の具」、その素材にあるようだ。それと大学・アカデミズムの中にある「日本画学科」「西洋画学科」という二分法。「学科」に入学したところから、顔料を使う日本画と、油を使う西洋画に分かれる、ということらしい。

もちろん、制作は理念だけでなく、すぐれて技術であるわけで、内田氏が「自分が『美』だと思うものを、たとえば日本画の技法としてある垂らし込みの技法に墨を使う、といったことがピッタリする。油を研究する時間がない」というのも確かなのであろう。

伝統というのは、それが辿ってきた歴史であり、そこに込められてきた時間、技法への探求の深み、厚みということなのかもしれない、と思った。

2008年1月7日月曜日

あれから20年

あれから20年がたったのかと思うと、
昨日のことであったようにも、
もう1世紀も前のことであったようにも思える。

午前6時過ぎに、自宅の電話のベルが鳴った。
慌ててラジオのボリュームを大きくすると、
天皇の容態は尋常ではないようだ。
もうすでに、事態はさらに進んでいるのかもしれない。
すぐに出社を求める電話だった。

取るもの、着るものもとりあえず、
タクシーを呼び寄せ、皇居へ向かった。

7時半過ぎから侍医が大講堂で会見を行った。
次から次へ、儀式は進行していった。
しかし、待つ時間の長かったこと。

午後からは、当時の内閣官房長官が会見した。
左手に「平成」と縦書きした色紙を持ち、
「昭和」の次の年号が「平成」と決まったことを示した。
小渕さんの顔が、なぜかはにかみながら笑っていた。

その日からの服喪。
テレビは、延々と昭和天皇の回顧の映像を流し続け、
歌舞音曲が消えたのだった。

あれから20年。
すでに歴史の一齣になってしまったのだろうか……。

2008年1月4日金曜日

プール

世の中、仕事初めの4日、横浜・鶴見のプールへ出かけた。
目の前に横浜ベイブリッヂが見える埠頭のプールサイドだ。

日ごろ、運動といえばテニスを週に1-2度のペースで、この10年ほど楽しんできた。
昨年の9月、テニス・エルボーというのだろうか、肘を痛め、その後、いろいろな療法をためしているものの、いまだ思うような回復をみていない。だから、半年まではいかないまでも、この間、運動らしい運動から遠ざかっていて、仕事場がかわったことや、パソコンに向かい合う時間がこれまでよりも増えたことなどから、肩や腰の凝りなど体のあちこちがゴリゴリ、がたがたになっている昨今だ。

去年暮れから、このままではいかん、と水泳を思い立った。
なにもオーバーなことを考えているわけではない。別に急に遠泳をするわけでもない。水の中を歩いているだけでも、立派な運動になる、と。

プールは、25mのプールをはじめ、流れるプール、ジャグジーなど、いろいろな楽しみ方ができる。
高齢者用に大浴場も別料金で用意がされている複合施設。
意気込んで出かけたものの、25mのコースをさて、何本泳げたか。平泳ぎ、背泳など、決してスピードを競うものではないが、体の凝りがほぐれた。

やはり、体は動かすに如くはないようだ。