2020年6月10日水曜日

キョウチクトウ


梅雨入りも近いのだろう。「時の記念日」という10日、東京都心で32度、関東から北でも35度の猛暑日となるなど、暑さの警告。横浜では、強い東風で気温は29度を下回り、籠っているには湿度も低く、しのぎ易かった。それでも近畿、東海地方まで梅雨入りとか。あすにも関東辺りも湿っぽく雨となる予想。

あちこちのキョウチクトウに花がつき始めた。白がまず目につき、ピンクの花もボチボチ咲き始めている。葉がタケに似て、花がモモに似ていることから夾竹桃の和名があるのだという。公害に強く、川崎市では他の樹木が枯死したなかで街路樹として成育。また原爆で「75年間草木も生えない」といわれた広島で、被爆焼土にいち早く咲いた花として、原爆からの復興のシンボルとなり広島市の花に指定されている。その反面、このキョウチクトウ、強い経口毒性があり、野外活動の際に調理に使ったり、家畜が食べたりしないよう注意が必要なのだという。花、葉、枝、根、果実すべての部分と、周辺の土壌にも毒性があり、生木を燃やした煙も有毒。腐葉土にしても1年間は毒性が残るため、腐葉土にする際にも注意を要する、というから気を付けなければならないようだ。  

国会では、前日に続いてコロナ禍対策の第2次補正予算をめぐって、衆議院予算委員会での質疑。国民民主党の玉木雄一郎代表、共産党の志位和夫委員長らが質問に立った。経産省の持続化給付を巡る委託の疑惑に、梶山通産相は業者公募の前の業者、つまり電通なり協議会との交渉記録を国会に提出すると表明。それにしても、スッキリとしないままに、委員会は予算案を可決。野党が対案として出した予算案の組み替え動議の案の方に、原案よりは分がありそうだったが、NHKの中継は質疑一巡で打ち切り、同議案などの中身は目にふれないままだった。

自民党は、補正予算が可決すれば、国会を閉める算段と伝えられる。国会の周りのデモの声が委員会室まで聞こえた。「安倍やめろ」「国会止めるな」。この日、沖縄・那覇地裁は、森友・加計学園問題の疑惑解明を求めて、2017年6月に野党が要求した臨時国会の召集を安倍内閣が3カ月以上放置したのは憲法違反として、当時の沖縄選出の国会議員4人が国に損害賠償を求めた訴訟の請求を棄却する判決。踏み込んだ憲法判断は行わないままの棄却だったという。

60年前の1960年(昭和35年)のこの日の羽田空港周辺には日米安保改定への反対のデモ隊が詰め掛けていた。19日にも予定されていたアイゼンハワー米大統領訪日の日程を協議するため来日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官(当時の報道表記は「ハガチー新聞係秘書」)を迎えた車は、デモ隊に包囲されて動けなくなり、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救出されるという事件が発生。いわゆる「ハガチー事件」。これでアイク訪日は中止となった。この後、15日には国会突入のデモ隊と警察官の衝突で、参加していた東京大学学生の樺美智子さんが圧死する。安保反対の運動の熱点が頂点を迎える。

62年(昭和37年)のこの日、北陸本線の北陸トンネルが開通している。13k869m。当時日本最長のトンネルだった。10年後の72年(昭和47年)11月、このトンネルを通過中だった急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、30名の犠牲者を出した。

90年(平成2年)には、ペルーの大統領選挙で、ペルー移住日系2世、アルベルト・フジモリ氏が当選した。フジモリ氏は両親が熊本県出身で藤森謙也という日本人名を持ち、ペルーと日本の両方の国籍をもっていた。政治家としての経験はほとんどないままの大統領就任だったが、「センデロ・ルミノソ」などのテロ組織の掃討や、経済改革でペルーの貿易額を大幅に増大することに成功。そんな中、国家再建をより強力に推進するため、憲法一部一時停止措置を発動。96年12月の日本大使公邸人質事件に当たっては、ペルー軍コマンド部隊が公邸に突入して解決したが、フジモリ大統領の独裁的権力に対する批判は次第に高まっていった。さらに公金横領などの疑惑をかけられたフジモリ氏は日本へ亡命。ファックスで大統領辞任の意をペルーに伝えるという行為は、後に「恥ずべき辞任」と言われた。それでも2005年、再び大統領選出馬のためにペルーへ向かう途中、フジモリ氏はチリ政府によって逮捕拘束され、ペルー政府に引き渡されると、バリオス・アルトス虐殺事件(ペルー軍特殊部隊による民間人殺害事件)の任命責任などの罪に問われ、禁固25年の刑が言い渡された。

2010年4月10日土曜日

花吹雪


花吹雪は美しい。花が自分の重みに耐えかねて、やってきた風に身を任せる。
クルクルと、花びらは輪舞をしながら、風のリードで舞う。

その一瞬を、カメラで捉えたいと思いながら、なかなか目で見たようにはいかない。
花びらはシャッターを通じて、フとその姿を光りの中に隠してしまう。
背景が黒くなければ、その姿は失われてしまう道理だ。

東京国立博物館の法隆寺宝物館の前。
全面ガラスの正面に、池の上を風が流れ、花びらが躍った。
ガラスに表慶館の背中と、やわやわと風になびくヤナギの長く青い葉が映り込んでいる。
宝物館の闇から出てきた人も、思わず繰り広げられる花弁のページェントに空を見上げた。
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2010年2月27日土曜日

春は貝

春の訪れの楽しみの一つが
 美味しい貝との出会いだ。
 
 ホッキ貝は、そんな一つ。
 こぶし大の貝が3つで半値の250円。
 これは買って帰るに限る。

 家に帰って念のため、
 ホッキ貝の捌き方をネットで確認する。
 昔は、そんなことはなかった。

  ホッキ貝をまず、水をはった器につけてやった。塩水の方がよいのかもしれない、
 貝がホッと息を吸い、心持口を開く。ゴミも出してくれればもっと良い。殻を洗ってやる。
 貝の合わせ目に刃物を咬ませる。端の方にそっと探り入れると、至極簡単だ。
 
 貝柱を切ってしまえば、口を開く。ヒモも含めて取り出し、ちょっと熱湯を潜らせ、
 すぐに冷水にいれてやる。ほんのりと身が赤みを帯びるのがうれしい。
 
 一番肝要なのが、ちょっと厚めなところを開いたときに見える黒いフンのようなものを
 取り除くこと。これだけは忘れてはいけないようだ。
 3つの貝を捌いて、実はそれだけでなく、ホヤも手に入ってしまったので、これも始末した。
 これも半値で100円。漁師さんは、こんなに安値で大丈夫なのか、と心配しながら。
 
 両方を日本酒で食べ始めたら、酒が進むこと。
 因みに、この日の酒は、大阪は池田の呉春。すっきりとして好みの酒。
 ちょっと仕合せな夜だった、
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2009年7月12日日曜日

ムール貝


突然ながら、スーパーでムール貝を買った。

先日、あさりを買って帰って、酒蒸しをしてみたら、

案外、うまくできたので、つい味をしめた、というわけ。

とはいっても、同じ貝でもあさりとムール貝では、

ちょっと勝手が違う。買ってしまってから、WEBにレシピを求めてみた。


いろいろとあったが、http://www.chez-mikawa.co.jp/belgiancooking2.html/[このベルギー料理]の案内が親切だった。材料を調べてみたが、家に白ワインがなかった。ままよ、日本酒だって、何かできるだろう。セロリはあったが、パセリはなかった。玉ネギはあったし、にんにくもあった。

一番びっくりしたのは、「ムール貝の掃除」だった。あさりと同様に、塩水に少し泳がしていた貝だが、案内には、次のようにあった。「ふつうムール貝には中からひげが出ています。ひげは必ず、貝の付け根のほうから口のほうへ引っ張って取り除きます」なるほど、ヒゲが生えている。これには気がつかなかった。ひげを抜きおわったら、貝殻の表面についている、藻や苔を、貝の口先で削り落としきれいにします――。

なるほど、このようにお手入れをすると、いかにも磯臭い臭さが消えていく。なべにバターを入れてとかす。用意した野菜をすべて入れて混ぜる。ここでレシピになかったが、オリーブ油を使ってみた。

野菜がしんなりとしたところでムール貝を加え、白ワインのかわりの日本酒と水を加えて蓋をしました。強火で2-3分。なるほど貝の口が開いてきた。火を通しすぎないうちに止めて出来上がり。

食べたら結構いけた。また、やってみよう。ワインを用意して

2008年12月23日火曜日

2008年7月2日水曜日

未央柳


梅雨の合間に
気にかかるのが未央柳だ。

雨の中で咲くアジサイの爽やかさに比べても
この未央柳は晴れ間にパッと明るく目を射てくる。
雄蕊がたくさん、しかも長く伸びる様が
より艶やかさを感じさせるのだろうか。

名前もいろいろに呼ばれる。
未央柳は、ミオウヤナギと読みそうなのに
ビヨウヤナギとわざわざ訓が振られる。
美容柳などとも書かれる。

中国から約300年前に渡来したのだそうだ。
金糸桃と呼ばれ、白楽天の「長恨歌」にある、という。

伊藤忠林業さんの「木になるはなし」という
ページによると次のようなことだ――。
http://www.itcringyo.com/column/column37.html

太液の芙蓉未央の柳此に対ひて如何にしてか涙垂れざらむ

と、玄宗皇帝が楊貴妃と過ごした地を訪れて、
太液の池の蓮花を楊貴妃の顔に、未央宮殿の柳を楊貴妃の眉に喩えて
未央柳の情景を詠んだ一節があり、美しい花と柳に似た葉を持つ木を
この故事になぞらえて"未央柳"と呼ぶようになったと考えられます。
あるいは花が美しいことから、"美容柳”とも表されます。

――なるほど、楊貴妃か、と妙な感心をして、納得してしまう。
唐の王朝ロマンに思いを馳せて……

2008年4月13日日曜日

36回目の結婚記念日


長い時間だったのか、
歩いてきてしまった今日、
短かったようにも……。

考えてみれば、
この伴侶との出会いは
16歳の時であったから46年。
かれこれ半世紀=50年に近くなる。

いろんなことは、あって当然。
当然のことで、いろいろあった。
そして、この先も、どれくらいかは別にして
一緒にいることだろう。

「記念日」は、祝わなければならないか――
どうしても祝わなければならないこともあるまい。

テレビのCMのようなことも、
歯が浮くようで、ようしません。
気持ちがないわけではないけど、
ようせんのです。
それだけです。

まずは、これからの何年になるのか、
お互いの歩きたい道を、
それぞれの距離で付きつ、離れつ……

無事であることが第一なのだけど、
それにも、事は起きてくるのでしょう。
その時のことも、どこかで覚悟をしながら……

飼っている犬だって、
突然に何が起きることか分からない。
人も犬も。頑張ってやっていく記念日にしよう