2008年3月20日木曜日

地下鉄サリン事件から13年

13年前のきょう(3月20日)は、月曜日だった。
朝からドンヨリした、いかにも春先の薄ら寒い日だったように記憶する。
JR新橋の駅を降りた頃から、街中にあちらこちらで救急車のサイレンが一斉に鳴り、コンクリートの街で反響が増幅され、鳴り続けていた。状況は良く分からないが、一報は「地下鉄築地の駅で爆発騒ぎ」とか、情報は錯綜していた。

発生は午前8時半、地下鉄の霞ヶ関へ向かった地下鉄の列車が狙われていた。次々に入る列車が一斉にサリンの惨禍に見舞われ、権力中枢の霞ヶ関を地獄に、という絵が描かれていた。

テレビは各局(NHKの教育テレビを除く全局だったそうだ)、一斉に地下鉄の各駅付近からの実況中継。地下から地上に助け上げられ、救急車を待つ被害者たちの映像を流し始めた。築地の聖路加国際病院が中核的な受け入れをして、どうやら事件の核心が「サリン」という化学物質であることが分かってきた。

前の年の6月、長野県松本市で発生したサリン事件の記憶はまだ新しかったが、この事件は冤罪事件として記憶され始めたものの、現実感のない事件であった。身近にこの事件で息子を亡くした同僚がいたことが、他の人よりは現実的な印象は残しながら……。

この年は、1月の阪神淡路の大震災で明け、経済も一向に明るさが見えない。そこに、このサリン事件だった。何か表現しがたい、恐ろしいことが、まだまだ続いて起きるのではないか、という恐怖が湧き上がってきた。さらに3月30日には警察庁長官が自宅前で狙撃される、という事件も追い討ちをかけた。

オウムというオカルト集団にメスが入ったのは、地下鉄事件の2日後、警察庁長官狙撃は、オウムが犯行によって、オウムから目をそらさせようとしてのことだった。第6サティアンから教祖が引き出されのは、暑くなり始めた5月半ばのことだった。

40年余り前、「邪宗門」という小説が高橋和巳によって書かれた。戦前の大本教がモデルといわれ、国家権力の弾圧の前に、世直しの教義が示され、滅びていく、というものだったが、それとは異なる、現実にこの世に終末を呼び込もうとする邪宗を感じたものだった。

その後、ニューヨークでは01年の9・11事件。アル・カイーダという原理主義グループの犯行。宗教とは、人を救いもすれば、世界を破滅させることもある。そのことは、決して終わることのない現実なのだろう。