東の空にまん丸の月が出た。
クリスマスイヴと満月、それに火星の赤。
今年はそんな取り合わせができたらしい。
特に何もなかったイヴだった。
積年、たぶん今年だけでないから、積年のリヴィングの集積を片付ける作業をした。
手元にあった本を整理することも、その大きな部分。
これを束にして、一応は頂いた本などは、これを改めて記録して、括った。
束を車に積んで、古本屋へ行こうとした。
ガレージの2段式のパレットを引き上げ、見ると、床面にどうもオイルが大分こぼれ濡れている。
やばそうな感じがしながら、エンジンキーを回す。エンジンはかかった。
ゆっくり前進、ハンドルを右に回してみると、日ごろは感じないギシギシといった音。
ハンドルが重い――これは、いかん。
マニュアル片手にボンネットを点検するが、エンジンオイルがあまりない感じはするが、
エンジンはかかったし……。下手の考え、休むに似たり。
今年7月に、確か10年目の車検を受けた販社のサービスカウンターに電話する。
「エンジンはかかるんですね。車検のときにオイル漏れがあるのでは、という点は
チェックしていたんですがね。オイルがこぼれているという色はどんな色ですか?」
結局、エンジンオイルというよりは、ハンドルなどを軽くする油圧系統のオイルが
漏れている可能性が強そうだ、とのこと。
自走することが可能か不明なので、JAFに電話することにした。
JAFを待つこと1時間余り。結論はやはり、ステアリング系統のオイル漏れ。
自走してエンジンを焼ききるようなことがあっては損ですから、と牽引してもらうことに。
横浜市内の販社工場まで牽引してもらい、検査。
結論は、ステアリングなどの油圧系統のオイルの送り元付近のチューブのゴムに
緩みが見つかったということだ。締め付けをしておしまい。
無代でオイルまで入れてくれた、というのは、工場が先の車検時の手落ちを認めたということか。
やっと自走して家まで戻り、改めて古本屋へもって行く本を積み込む。
横浜・鶴見駅近くの古本屋さん。業界に加入していることで、
以前にも一度、本を持ち込んだことがある。
月曜から土曜までの営業で、日曜日は定休。祝日は10時から8時とHPにあったので7時前に着いたが、ちょうどシャッターをすべておろし終えたその時だった。
出直すことも面倒なので、シャッターを叩いた。おじさんが車まで見に来てくれたが、
「全部まとめても1000円くらいしか出せませんが良いですか」
値段をいうつもりはないので、それはOKなのだが、
研究者がいれば有用かもしれない、と一束つくっていた文部省の指導の手引きや、
各種機関の機関紙などの山について「これは一般ごみに出してください」といわれたのは、
いささかプライドを傷つけられた思いだった。
意地でも、だれか研究者を探して、譲ってやる、と思ったものだ。
帰りがけの東の空、そこにポッカリト浮かんだ満月。結局は、それだけのことだった。
2007年12月2日日曜日
墓参り
父の墓参りに出かけた。
師走も2日。天気は良し。好天のうちに、墓参りはすますべし。
数えてみると、4日で父が亡くなって満12年。ということは、13回忌ということになる。
仏教界での数えの話だ。だからといって、墓参りと法要とは関係ない。
考えてみれば、葬式も無宗教で執り行った。
先祖を遡ってみれば、私からいって祖父の代、というか、
その父親の代まで、どうやら仏教のお寺さん、つまり坊さんだったようだ。
いまでも、そのお寺は福岡の在にある。
真宗大谷派金吟山信教寺、というのが確かそのお寺。
祖父は、大学を二つ出て、新聞記者になった。
お寺は、妹に婿をとって、後を継いでもらった。
そして、その息子、つまり私の父は、あえて仏式の葬式を求めず、無宗教を望んだ。
そういえば祖父の葬式は、仏教で行われたようだが、
長男夫婦をはじめ、クリスチャンで、お骨はどこへ納められたのか。
葬儀の変遷というのは、大袈裟に振りかぶれば、社会のありかたの変遷だ。
「家」がしっかりしていた時代、葬儀は「家」の格式に則り、その枠で執り行われた。
社会に「会社」が根を下ろし、人びとが「家」から「会社」の呪縛に囚われはじめ、
「会社」の存在が大きくなるにしたがって、葬儀に「会社」が大きく関与をし始めた。
「社葬」が、それだ。
「社葬」は、やはり「会社」という社会のなかでその序列を再確認したり、
再構成をするうえでの大きなモメントともなった。
「親戚代表」「葬儀委員長」……。
葬儀を執り行うに当たっての「要」であり、中心である人、その役割には大きな存在感があった。
そういう時代が長く続いた。
ある時から、葬儀が逆のベクトルを辿り始めた。
「葬儀は近親においてあい済ませ」るケースが、増え始めた。
死亡広告のパターンというのは、やはり時代の変遷とともに変わってきている。
「無用な会葬は不要じゃ」
心になくとも、葬儀に参列する、ということが、
本当に不要であったり、無駄なことであるのか否か、議論はあろう。
「千の風になって」私の骨は砕いて、太平洋に撒いて欲しい……
葬儀を含め、自身の死後をいかにしてほしいのかそれは、
だんだんと死に行く人の、自身の処分を含めた希望であり、権利になりつつあるようだ。
理屈は別にして、今日は静かに晴れ、野の枯れ具合も美しく、
自然はかくも華やかな初冬を演出するのだ、と思わせた。
もう後、何年、墓守をして、墓参りができるのか。
そんなことも思い始めた、今日この頃ではある。
師走も2日。天気は良し。好天のうちに、墓参りはすますべし。
数えてみると、4日で父が亡くなって満12年。ということは、13回忌ということになる。
仏教界での数えの話だ。だからといって、墓参りと法要とは関係ない。
考えてみれば、葬式も無宗教で執り行った。
先祖を遡ってみれば、私からいって祖父の代、というか、
その父親の代まで、どうやら仏教のお寺さん、つまり坊さんだったようだ。
いまでも、そのお寺は福岡の在にある。
真宗大谷派金吟山信教寺、というのが確かそのお寺。
祖父は、大学を二つ出て、新聞記者になった。
お寺は、妹に婿をとって、後を継いでもらった。
そして、その息子、つまり私の父は、あえて仏式の葬式を求めず、無宗教を望んだ。
そういえば祖父の葬式は、仏教で行われたようだが、
長男夫婦をはじめ、クリスチャンで、お骨はどこへ納められたのか。
葬儀の変遷というのは、大袈裟に振りかぶれば、社会のありかたの変遷だ。
「家」がしっかりしていた時代、葬儀は「家」の格式に則り、その枠で執り行われた。
社会に「会社」が根を下ろし、人びとが「家」から「会社」の呪縛に囚われはじめ、
「会社」の存在が大きくなるにしたがって、葬儀に「会社」が大きく関与をし始めた。
「社葬」が、それだ。
「社葬」は、やはり「会社」という社会のなかでその序列を再確認したり、
再構成をするうえでの大きなモメントともなった。
「親戚代表」「葬儀委員長」……。
葬儀を執り行うに当たっての「要」であり、中心である人、その役割には大きな存在感があった。
そういう時代が長く続いた。
ある時から、葬儀が逆のベクトルを辿り始めた。
「葬儀は近親においてあい済ませ」るケースが、増え始めた。
死亡広告のパターンというのは、やはり時代の変遷とともに変わってきている。
「無用な会葬は不要じゃ」
心になくとも、葬儀に参列する、ということが、
本当に不要であったり、無駄なことであるのか否か、議論はあろう。
「千の風になって」私の骨は砕いて、太平洋に撒いて欲しい……
葬儀を含め、自身の死後をいかにしてほしいのかそれは、
だんだんと死に行く人の、自身の処分を含めた希望であり、権利になりつつあるようだ。
理屈は別にして、今日は静かに晴れ、野の枯れ具合も美しく、
自然はかくも華やかな初冬を演出するのだ、と思わせた。
もう後、何年、墓守をして、墓参りができるのか。
そんなことも思い始めた、今日この頃ではある。
2007年10月14日日曜日
「小顔」ということ
いつの間にか、日本の女の子たちは「小顔」になっているようだ。
小さな顔、長い手足……。一昔前に比べても、その形は大きく変わっているように思える。
「小顔」などといっても、はっきりした定義がある言葉でもなさそうだ。
小さな顔は、何に比べて「小さい」のか。どれくらいの比率以下が「小顔」なのか……。
それでもネット上には「小顔になれる基礎知識」であるとか「小顔美人になるこんな方法」などというサイトがずらりと並んでいる。
「小顔」という言葉は、「アムラー」を生んだ安室 奈美恵が登場した12年位前以降の 流行のように思える。それ以前にも 「小顔」の人がいたに違いないが アムロのファッション・リーダーとしての茶髪ロングヘアー・ミニスカート・細眉・厚底ブーツなどの総体として、この時代以降に「憧れ」の対象としての言葉が定着したようだ。
因みにアムロは身長158cm、40kg。スクリーンからの印象より、小柄だといえそう。
かつて「八頭身美人」という言葉があった。
1953年(昭和28年)に伊東絹子がミス・ユニバースの3位になった時、彼女を称していった言葉で、流行語になった。当時の彼女のサイズは T-164cm, B-86W-65, H-92とのことで、当時の日本人としては大柄な、西洋的な体形の美女だったらしい。
ミス・ユニバースでは、その後、1959年(昭和34年)に児島明子が優勝している。身長168cm、体重55kg、スリーサイズは93、58、97cm。今年07年の優勝者、森理世さんは身長170cmだけしか不明。
そんな中で、「ツイギー」というイギリスのモデルが日本へやって来たときを思い出す。
名前の通り、全身が「小枝」のような印象で、小顔、手足は細く、長かった。
1967年(昭和42年)のことで、彼女が身に着けて上陸したミニスカートは全世界を席巻する。
日本では彼女がやってきた10月18日を「ミニスカートの日」としている。
40年前のことだった。
小さな顔、長い手足……。一昔前に比べても、その形は大きく変わっているように思える。
「小顔」などといっても、はっきりした定義がある言葉でもなさそうだ。
小さな顔は、何に比べて「小さい」のか。どれくらいの比率以下が「小顔」なのか……。
それでもネット上には「小顔になれる基礎知識」であるとか「小顔美人になるこんな方法」などというサイトがずらりと並んでいる。
「小顔」という言葉は、「アムラー」を生んだ安室 奈美恵が登場した12年位前以降の 流行のように思える。それ以前にも 「小顔」の人がいたに違いないが アムロのファッション・リーダーとしての茶髪ロングヘアー・ミニスカート・細眉・厚底ブーツなどの総体として、この時代以降に「憧れ」の対象としての言葉が定着したようだ。
因みにアムロは身長158cm、40kg。スクリーンからの印象より、小柄だといえそう。
かつて「八頭身美人」という言葉があった。
1953年(昭和28年)に伊東絹子がミス・ユニバースの3位になった時、彼女を称していった言葉で、流行語になった。当時の彼女のサイズは T-164cm, B-86W-65, H-92とのことで、当時の日本人としては大柄な、西洋的な体形の美女だったらしい。
ミス・ユニバースでは、その後、1959年(昭和34年)に児島明子が優勝している。身長168cm、体重55kg、スリーサイズは93、58、97cm。今年07年の優勝者、森理世さんは身長170cmだけしか不明。
そんな中で、「ツイギー」というイギリスのモデルが日本へやって来たときを思い出す。
名前の通り、全身が「小枝」のような印象で、小顔、手足は細く、長かった。
1967年(昭和42年)のことで、彼女が身に着けて上陸したミニスカートは全世界を席巻する。
日本では彼女がやってきた10月18日を「ミニスカートの日」としている。
40年前のことだった。
2007年9月20日木曜日
やっと初孫
待望の「初孫」が、やっと生まれた。
娘は「生まれた」でなく「産んだ」と主張するが……。
予想通り、男の子だった。
予定日から遅れること12日。
「もう生まれるかも」と訴え初めてから約一ヵ月かかった勘定だ。
その「甲斐」?あってか、体重は3,516g。いや、立派な体重だ。
恵比寿、中目黒と代官山のトライアングルのほぼ中心にある産院は、自然分娩を旨としている。それでも、そろそろ促進剤を、と予定していた19日早朝、娘に産気が訪れた。「産出」は昼過ぎのことだった。
誕生の知らせを聞いて、産院に行って見ると、畳敷きの和室の布団の上に、赤ん坊は寝ていた。
お包みの中から、赤ら顔が見えた。
赤ん坊は本当に赤い。なのになぜ、嬰児<みどりご>というのだろう。
などと愚にもつかぬことを考えながら、赤ちゃんの顔を見ていると、
どうも私と私の母親に、どこか似ている。目の下に袋ができそうな顔だ。
ちょっと、お地蔵さんにも似ている。
余り、大泣きもしない、大人しい子のようだ。
賢い、賢い、というのは、すでに爺馬鹿というやつだろうか。
娘の出産に付き添っていた婿さんは、早速、
8ミリならぬデジタル・ムービーを回していた。
なんと、出産直後のシーンから、映し出されていた。
世の中、どんどん出産の風景も変わっているものだ。
ともかく、母子とも無事での出産。なによりの幸せというべきだろう。
娘は「生まれた」でなく「産んだ」と主張するが……。
予想通り、男の子だった。
予定日から遅れること12日。
「もう生まれるかも」と訴え初めてから約一ヵ月かかった勘定だ。
その「甲斐」?あってか、体重は3,516g。いや、立派な体重だ。
恵比寿、中目黒と代官山のトライアングルのほぼ中心にある産院は、自然分娩を旨としている。それでも、そろそろ促進剤を、と予定していた19日早朝、娘に産気が訪れた。「産出」は昼過ぎのことだった。
誕生の知らせを聞いて、産院に行って見ると、畳敷きの和室の布団の上に、赤ん坊は寝ていた。
お包みの中から、赤ら顔が見えた。
赤ん坊は本当に赤い。なのになぜ、嬰児<みどりご>というのだろう。
などと愚にもつかぬことを考えながら、赤ちゃんの顔を見ていると、
どうも私と私の母親に、どこか似ている。目の下に袋ができそうな顔だ。
ちょっと、お地蔵さんにも似ている。
余り、大泣きもしない、大人しい子のようだ。
賢い、賢い、というのは、すでに爺馬鹿というやつだろうか。
娘の出産に付き添っていた婿さんは、早速、
8ミリならぬデジタル・ムービーを回していた。
なんと、出産直後のシーンから、映し出されていた。
世の中、どんどん出産の風景も変わっているものだ。
ともかく、母子とも無事での出産。なによりの幸せというべきだろう。
2007年9月6日木曜日
台風と予定日
台風9号が北上している。
このままでは、首都圏を7日未明にも直撃する勢いだ。
その7日。娘の出産予定日だ。
35歳での第1子で、半月ほど前から
「もう産まれるかも」の大騒ぎが続いている。
結局は、予定日の周辺に産まれることになるのだろうが、
大事をとりすぎて、家でゴロゴロでは、最後は産まれない。
2時間程度は歩きなさい、との先生のご託宣に
家の周辺を歩いたり、しているのだが、
「一人では、何かあったら心配」とは
なかなかに我侭に育てていまったものだ。
というわけで、夫を含め、家族が変わる変わるで
散歩や午後の時間を過ごすのを受け持ち、
私も昨日、お当番に出かけた。
何をして時間を過ごすか。
いずれにせよ子どもの出産は、ほかのことと同じで
待つより仕方がないのだから、
その待つ時間を、どのように過ごすか、だ。
昨日は、近くにある東京都庭園美術館を訪ねることにした。
以前の迎賓館。白金の自然教育園のすぐ隣にある。
ちょうど、ロシアのバレエなどの足跡を展示する
「舞台芸術の世界」展が行われていた。
庭園美術館は、もともとは
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年-1981年)が
1947年の皇籍離脱(実質的な臣籍降下)まで暮らした邸宅で、
1933年(昭和8年)に竣工した、当時流行のアール・デコ様式を採用した建物で、
東京都の有形文化財に指定されているものです。
美術館の建物自体が美術品で、その建物の中にいるだけで、
気分が落ち着く所である。
展覧会の方は、バレエの歴史を知っていると、もっと
理解が深まるのだろうが、それはそれなりに楽しめた。
断続的に激しく降る雨の中、庭園の緑が一層深く
芝生に2つづつ置かれた彫刻のベンチが可愛らしく存在を主張していた。
さて、「予定日」は無事に出産日になるでしょうか。
なんとか無事に産まれてくれれば良いと祈るばかりです。
このままでは、首都圏を7日未明にも直撃する勢いだ。
その7日。娘の出産予定日だ。
35歳での第1子で、半月ほど前から
「もう産まれるかも」の大騒ぎが続いている。
結局は、予定日の周辺に産まれることになるのだろうが、
大事をとりすぎて、家でゴロゴロでは、最後は産まれない。
2時間程度は歩きなさい、との先生のご託宣に
家の周辺を歩いたり、しているのだが、
「一人では、何かあったら心配」とは
なかなかに我侭に育てていまったものだ。
というわけで、夫を含め、家族が変わる変わるで
散歩や午後の時間を過ごすのを受け持ち、
私も昨日、お当番に出かけた。
何をして時間を過ごすか。
いずれにせよ子どもの出産は、ほかのことと同じで
待つより仕方がないのだから、
その待つ時間を、どのように過ごすか、だ。
昨日は、近くにある東京都庭園美術館を訪ねることにした。
以前の迎賓館。白金の自然教育園のすぐ隣にある。
ちょうど、ロシアのバレエなどの足跡を展示する
「舞台芸術の世界」展が行われていた。
庭園美術館は、もともとは
朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年-1981年)が
1947年の皇籍離脱(実質的な臣籍降下)まで暮らした邸宅で、
1933年(昭和8年)に竣工した、当時流行のアール・デコ様式を採用した建物で、
東京都の有形文化財に指定されているものです。
美術館の建物自体が美術品で、その建物の中にいるだけで、
気分が落ち着く所である。
展覧会の方は、バレエの歴史を知っていると、もっと
理解が深まるのだろうが、それはそれなりに楽しめた。
断続的に激しく降る雨の中、庭園の緑が一層深く
芝生に2つづつ置かれた彫刻のベンチが可愛らしく存在を主張していた。
さて、「予定日」は無事に出産日になるでしょうか。
なんとか無事に産まれてくれれば良いと祈るばかりです。
2007年8月28日火曜日
「ミシュラン」の命日
きょうは、うちの「長男」の1周忌、命日だ。
「長男」の名は、「ミシュラン」。オス9歳のチワワだった。
去年のこの日も、暑い一日だった。
前の晩から、「ミシュラン」は吐く息が苦しそうだった。
横になることができないらしく、時々苦しげに咳をしていた。
風邪というのではなく、心臓に疾患があったのか、肺に水が溜まり、
呼吸が苦しげなことが、段々に増えてきていて、早めに病院に連れていこう、
と言っていたところだった。
朝になった、妻が動物病院に連れて行った。
「余り、調子が良くはないみたいだけど、夕方には連れて帰れそうだ、と
お医者さんはいっている」との話だった。
夕方、少し早めに帰宅する途中、妻から連絡が入った。
「どうも様子がおかしいみたい。急いで来て欲しい」と病院からだった。
十数分後、動物病院に着くと、妻は受付のソファで、
毛布に来るんで横たえたミシュランを抱えていた。間に合わなかった。
「ミシュラン」は、下の娘が中学三年で、学校へ行けず、自室に籠もり始めた頃、
通学路にあったペットショップから、「たっての望み」で買入れた。
これまでは平屋に住んだときにウサギなどを飼ったりしたが、
現在はマンション住まいでもあり、ペットも亀どまりだった。
果たして、マンションで飼うことができるか、ちゃんと飼育ができるか――。
そんな諸問題も、少しづつ解決していった。
ちょうどチワワのウルウルとした眼が、サラ金のTVコマーシャルで一躍、
ブームを呼び始めた頃。娘の躾よろしく、生来のおっとりとした性格のミシュランは
家中の欠かせない一員となっていた。
ミシュランの死は、飼育の中心になってきた娘と妻にとって、
形容し難い苦しみであり、悲しみであった。
亡き骸は、その週末、一家で野尻の山荘の地中に埋葬した。
カラマツやカエデなどの葉が積み重なった腐葉土の中、
ミシュランが好きだったウシの縫い包みなどと一緒に……
それから数ヶ月、妻もミシュランと散歩に出かけたコースを歩くことができず、
散歩で出会った犬友達と顔も会わせたくない、と閉じこもり勝ちであった。
「次のイヌを飼ったら」というアドバイスもあったが、
「ミシュランが死んだからといって、すぐにゲーム機を買い換えるみたいにはできない」
と寧ろかたくなな心は開かなかった。
今年の初めになって、妻と娘が、やっとペットショップを覗きに出かけるようになった。
やはり、いままで家の中にいた友達が急になくなった、との喪失感を癒すのには
代わりにはならないまでも、ペットに如くはない――。
上の娘が急遽、結婚をすることになり、一段落した5月の連休。
家に帰ると、小さな白い物体がゲージの中にいた。
2代目のチワワ。今回はメスだった。11月に生れた5人?兄弟の妹分らしい。
川崎の国道1号線沿いにあるペットショップだが、こじんまりした店で
飼っているおばさんの躾け方も気に入っての決断だった。
前回、ミシュランの時の命名者は、下の娘だった。今回も娘は
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に出てくる
「幸いの竜」フッフールを付けたかったらしい。
しかし、「白い」イヌの白さにこだわった父親や上の娘が
白い酒「マッコリ」などと茶々をいれ、白いのに妥協して「ルー」と名前がついた。
先日、信濃町に出かけた際、山荘のミシュランの墓に詣でた。
思わず、埋葬した地面は、ミシュランの犬形に沈み込み、
自分の存在を主張しているかのようだった。
持って行った花を植えてきた。
ミシュランが4キロくらいはあったのに、ルーは2キロほど。
そのかわり思わぬほどのすばしこさを発揮する。
ミシュランを悼みながら、いまではすっかりルーが仲間だ。
「長男」の名は、「ミシュラン」。オス9歳のチワワだった。
去年のこの日も、暑い一日だった。
前の晩から、「ミシュラン」は吐く息が苦しそうだった。
横になることができないらしく、時々苦しげに咳をしていた。
風邪というのではなく、心臓に疾患があったのか、肺に水が溜まり、
呼吸が苦しげなことが、段々に増えてきていて、早めに病院に連れていこう、
と言っていたところだった。
朝になった、妻が動物病院に連れて行った。
「余り、調子が良くはないみたいだけど、夕方には連れて帰れそうだ、と
お医者さんはいっている」との話だった。
夕方、少し早めに帰宅する途中、妻から連絡が入った。
「どうも様子がおかしいみたい。急いで来て欲しい」と病院からだった。
十数分後、動物病院に着くと、妻は受付のソファで、
毛布に来るんで横たえたミシュランを抱えていた。間に合わなかった。
「ミシュラン」は、下の娘が中学三年で、学校へ行けず、自室に籠もり始めた頃、
通学路にあったペットショップから、「たっての望み」で買入れた。
これまでは平屋に住んだときにウサギなどを飼ったりしたが、
現在はマンション住まいでもあり、ペットも亀どまりだった。
果たして、マンションで飼うことができるか、ちゃんと飼育ができるか――。
そんな諸問題も、少しづつ解決していった。
ちょうどチワワのウルウルとした眼が、サラ金のTVコマーシャルで一躍、
ブームを呼び始めた頃。娘の躾よろしく、生来のおっとりとした性格のミシュランは
家中の欠かせない一員となっていた。
ミシュランの死は、飼育の中心になってきた娘と妻にとって、
形容し難い苦しみであり、悲しみであった。
亡き骸は、その週末、一家で野尻の山荘の地中に埋葬した。
カラマツやカエデなどの葉が積み重なった腐葉土の中、
ミシュランが好きだったウシの縫い包みなどと一緒に……
それから数ヶ月、妻もミシュランと散歩に出かけたコースを歩くことができず、
散歩で出会った犬友達と顔も会わせたくない、と閉じこもり勝ちであった。
「次のイヌを飼ったら」というアドバイスもあったが、
「ミシュランが死んだからといって、すぐにゲーム機を買い換えるみたいにはできない」
と寧ろかたくなな心は開かなかった。
今年の初めになって、妻と娘が、やっとペットショップを覗きに出かけるようになった。
やはり、いままで家の中にいた友達が急になくなった、との喪失感を癒すのには
代わりにはならないまでも、ペットに如くはない――。
上の娘が急遽、結婚をすることになり、一段落した5月の連休。
家に帰ると、小さな白い物体がゲージの中にいた。
2代目のチワワ。今回はメスだった。11月に生れた5人?兄弟の妹分らしい。
川崎の国道1号線沿いにあるペットショップだが、こじんまりした店で
飼っているおばさんの躾け方も気に入っての決断だった。
前回、ミシュランの時の命名者は、下の娘だった。今回も娘は
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に出てくる
「幸いの竜」フッフールを付けたかったらしい。
しかし、「白い」イヌの白さにこだわった父親や上の娘が
白い酒「マッコリ」などと茶々をいれ、白いのに妥協して「ルー」と名前がついた。
先日、信濃町に出かけた際、山荘のミシュランの墓に詣でた。
思わず、埋葬した地面は、ミシュランの犬形に沈み込み、
自分の存在を主張しているかのようだった。
持って行った花を植えてきた。
ミシュランが4キロくらいはあったのに、ルーは2キロほど。
そのかわり思わぬほどのすばしこさを発揮する。
ミシュランを悼みながら、いまではすっかりルーが仲間だ。
2007年8月20日月曜日
やはり胡弓の音
九月、というと、「セプテンバー・ソング」の前に、
風の盆の胡弓の音を思い出す。
私が越中・八尾を訪れたのは、もう何年前のことか。
多分、二十年ほど前にもなろうか。
ちょっと夕方にかけ小雨が通り過ぎて、列をなす鳥追いと浴衣姿の踊り手たちと、
三味と胡弓の弾き手が、見えない糸で操られているように、
整然としかも優雅に舞い、動く。
興ざめだったのは、NHKのライブ中継というやつ。
確かに地元にとっても、観光資源を全国へ宣伝する絶好の媒体に違いないし、
現地へ行けない人に、空気を含めて伝えるのだから、価値がないわけではないが、
そのライトや音声を随えたカメラのクルーは、やはり
現場の厳粛でさえある空気とは違和感の強いものであった。
それでなくとも観光の見物客で身動きのできない表通りを避け、裏道へ。
そこで一番気に入ったのは、ほかでは聞かれない、胡弓の揺らぐような音だった。
また、行って、見て、聞いて、感じたい、と思った。
一日から三日、といわれる「本番」だが、
それ以前の、観光客がいりこむ前や、三日目の夜更けが良い、という話だ。
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